こんにちは
築城(つゆき)明美 です。
春めいてきましたね〜
「ずぼら」な私は、やっぱり春になっても「ずぼら」なわけで、
主婦であるにもかかわらず、家の中が片付いていない...
ずっと前に、「あなたの理想の家」というアンケートに応募しようと、
主人と子供2人(現:高1、中3)とで話し合った事がありました。
ヘナチョコの私が、まともな答えを出すわけがないですと?
当ったり〜ぃぃ!
「小さくてもいい! 麻雀卓のような家がいい!!!」
雀荘にある、全自動のマージャンテーブルです。
ボタンを押すと、きれいに並んだマージャンパイが
下からせり上がってきます。
こんな家があったら、掃除の手間なし!!!!
ボタン一つで散らかっているものが床下に吸い込まれて、
きれいに整って、ガァーッと上がってくる!
もう、ゆめのような家ですね〜ぇ。
家族の意見は私の意見にまとまったのですが、
応募の出来ない答えになってしまった…
「ずぼら」の王道を行く答えですね。 おほほ
春は、「ずぼら」虫を目覚めさせる季節のようです。
ふにゃ〜
★ ☆ ★
さて今回は、ずずっと、ずずっと、軌道を元に戻して、
「どうして私がコンピュータの世界に入ったか」というお話です。
私とコンピュータの出会いは、小学校の頃です。
え?そんな昔にコンピュータなんてなかったぞ!ですって?
はい。ほとんどありませんでした。
もう全くというほど。
では、私の出会いはどこで?かというと、テレビです。
小学校3年生の頃に「ウルトラマン」の放映が始まりました。
その前が「ウルトラQ」。
まさに、オンタイム ジェネレーションです。
古ッ!
○。。。○。。。○。。。
ウルトラ警備隊基地には、隊長以下、警備隊員たちが待機しています。
壁ぎわのコンピュータとおぼしき物には、小さなランプが点滅しています。
そして、ピコーン、ピピピ、キュルーン といった電子音が聞こえます。
もうそれだけで、おー!最新鋭の基地だ!と想像されるわけですね。
あるとき、電気がたくさん点滅しているコンピュータらしきものから
穴のたくさん空いた紙テープが出てきました。
それを、引きちぎった、警備隊員が、紙テープの穴を読んで、
地球に危機が迫っていることを隊長に報告するわけです。
それを見た私は、穴を読み取るなんてすごーい!!!!
と感動し、コンピュータというものに強烈な憧れを抱くようになるのです。
当時、うちの風呂の湯船は、タイル張りでした。
1cm×2cmほどのカラフルなタイルが一面に張ってありました。
そのタイルをコンピュータのボタンに見立てて、
風呂に入るたびに、ボタン操作の自主トレをやっておりました。
コンピュータを制御するって、どんなにカッコいいんだろうと、
夢見ていたんですね。
時を同じくして、アメリカのアポロ計画も進行し、
5年生のときには、アポロ8号は月の周りを回ってきちゃいました。
6年生では、アポロ11号が月面に着陸までする始末!!
ヒューストンの大きな管制センターがテレビに登場するたびに、
コンピュータへの憧れは、妄想へと発展していくのでありました。
ほんの数年後(高校の時)に、その憧れはみごと打ち破られるのですが...
フハフハ ヴォワ〜ン 。。。○。。。○。。。○
高校の頃という言葉が、
この“いもマガ”(人間、万事塞翁がいもづる人生)にも
何度か登場しますが、普通の高校ではなかったのですね。
あっ、変な高校ではありませんよ、決して!断じて!
でも、当時は普通ではなかった、といえるでしょう。
もう、高校名も出しちゃいます。
「大分県立大分雄城台(おおいたおぎのだい)高校」といいます。
私はその1期生なのです。つまりは新設校だったわけです。
なんだ、その程度?とお思いでしょうが、当時はチョッと違ってた。
何しろ入学説明会のときは、校舎がなくて県庁で説明会でした。
入学式の時はあったのか、というと、ないことはない。
てっぺんハゲの台地の上に、
普通教室棟の半分だけがちょコンと建っていました。
あとは、昇降口のところに小さなプレハブが1つ。
それだけ。運動場もプールも体育館も、なーーんにもなし。
普通教室棟が半分ありますから、1階4教室×4階建てで、
16教室分のエリアはあったわけです。
1学年6クラスの教室と、職員室、などの学校としての機能が
全部収まっていました。
おまけに、建設予定地から“雄城台遺跡”なんてものが出てきちゃったので
さらに工事は遅れて行ったのでした。
○ 新設 親切 不親切? ありゃりゃ〜 ●
さてさて、それでも学校はスタートしていますので、
クラブや部活みたいなものも、始まりました。
1年生の時は数が少なかったのですが、
2年生になると生徒数も増えて新しいクラブが創設されました。
その中に、☆☆「卓電クラブ」☆☆ なるものが登場しました。
「なにそれ? えっ? コンピュータを研究するクラブ?!!」
それで、入っちゃったのです。
入ってみてビックリ。
コンピュータと称していたのは、どう見てもスーパーのレジ機。
へ?
プリンタはついていましたよ。
銀色のレシートのような紙を入れると、ジジーッジジーッと印字されます。
うっ...こ、これが、コンピュータ?
☆。・゜ア ・ ポ ・ ロ 。・゜ ウ ル ト ラ 警 備 隊。・゜☆
ひぇ〜〜〜〜〜〜〜ッ
ちなみに、「卓電」とは「卓上電子計算機」の略だそうです。
冷静に考えると、県立高校のクラブごときの予算で、
私の想像するコンピュータを購入できるはずもないのですが...
で、世の中の進化とは目覚しいもので、これからまた数年後には
コンピュータの全盛がやってきて、
私の手によって、銀行のオンラインが止まるまでの、
ファイナルカウントダウンが始まっているのでした。
ぎゃあ〜〜〜っ!
さてさて、次回は、銀行のオンラインをとめて
(第2号「オンラインを止めちゃった事件」
http://imozurukun.com/imomaga/02.htm)、
信販会社で3年勤めたあと、
(第6号「『ずぼら』だから考えた事」
http://imozurukun.com/imomaga/06.htm)
結婚してからどうなったかというお話です
▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽ 予告 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽
会社勤めの間、私は汎用機といわれる
大型コンピュータのプログラム開発をしていました。
まだ、パソコンというものが、やっと世の中に出回り始めた頃です。
小さいコンピュータ? そんなのオモチャに決まってる。
Out of 眼中! 視野外! と思っておりました。
最初に勤めた計算センターでも、
IBM特約代理店の看板をバァ〜ンと掲げ、
鳴り物入りのスタートはしたのですが...。
でも...私には、「卓電クラブ」トラウマが残っているので、
どぉーせ...としか思えなかったのでした。
いまや、世界を凌駕する勢いのマイクロソフト社もパソコン業界ですから、
「卓電クラブ」&パソコンの進化、恐るべしですなぁ。
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お楽しみに。
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